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【SHISEIDO THE STORE ウィンドウギャラリー】「天空からの絨毯」にこめた未来へのメッセージ。現代美術家 小沢剛氏をインタビュー

PHOTO: Nacasa & Partners

SHISEIDO THE STOREでは、現代美術のアーティストと共に1階ウィンドウギャラリーを制作しています。今回は、アーティストの小沢剛さんによる「天空からの絨毯」という作品を使ったウィンドウです。
「天空からの絨毯」 とウィンドウの制作、また、小沢さんと銀座との係りについてお話しを聞きました。

―サステナビリティや環境問題に興味を持たれたのはいつ頃からですか?

小沢:常に強い意識を持っていたわけではないのですが、極端な消費にはずっと嫌悪感をもっていました。使い捨てや消費を美徳とする考えとは距離を置いて過ごしてきたので、その考えが延長している感じです。美術をやっていると作品制作や展覧会のたびに大量にゴミを出すし、写真のプリントを自分で行えば大量の水を使う。そういう痛みを常に感じているので、なるべくゴミは出したくないと思っています。

―ご自身の作品に取り入れようと思ったのはどのあたりからですか?何かきっかけがあったのですか?

小沢:「天空からの絨毯」は2007年に制作したのですが、表面に出てくるのはこの作品からだと思います。当時、香川の佐野画廊のオーナー佐野眞澄さんが主宰していたネパールのアート系NGO「パヘンロ」の企画で、日本の7人のアーティストがアジア各地で映像作品を作るというプロジェクトがあり、その中の一人として参加しました。最終的にできあがった7本の短編映像は、2007年の山形国際ドキュメンタリー映像祭で紹介されました

PHOTO: Nacasa & Partners

―「天空からの絨毯」の制作はどのように進められましたか?

チベット自治区に標高6,656mのカイラス山という、チベット密教、ボン教、ヒンドゥー教の聖地があります。世界で最も美しい山のひとつといわれていて、公共交通手段がなく到達困難なためバックパッカーのあこがれの地ともいわれています。そこで作品を作りたいと思いリサーチしていたら、プラスチックゴミが問題になっていることが分かりました。それをアートに昇華できないかと考えていたら、大阪にペットボトルをリサイクルして絨毯にする会社があることを知り、コンタクトをとると中国の天津にも工場があるのでそこで協力してもらうことになりました。すぐにゴミが美しい絨毯に変化するというストーリーが思い浮かびました。

山の次は海でやりたくて海洋ごみについて調べていたら、東シナ海と日本海の間にある朝鮮半島や対馬がフィルターのようになりゴミがたまっていることが分かりました。まず中国・青島にも行ってみたのですが、そこは意外と少なかったです。リサイクルで売れることを知っているのか、みんな朝早く起きてゴミ拾いしていました。韓国の釜山の時は地元の環境NGOに連絡すると、とても協力的でゴミの多い無人島にまでつれていってくれました。そこでは5分くらいで山盛りのゴミが拾えました。その足で対馬に行き、役所の人に教えてもらった信じがたいほどの漂着ゴミが溜まっている地獄のような海岸に行くと、そこでも取り放題でした。ペットボトルについているラベルを確認すると、いろんな国のものが集まってきているのが分かりました。

―カイラス山に実際に行ってみてどうでしたか?

まさに天空という言葉がぴったりだと思いました。広大な自然の中、標高5000メートルを超える場所に1周52km巡礼路があるのですが、五体投地しながら何日もかけて巡礼する人もいます。そんな尊い場所なのに、巡礼者や観光客が捨てたペットボトルが点々と落ちていました。それらを屈みながら拾い集める作業は、酸素が低地の半分以下なので頭はクラクラするし体は思うように動かず、想像以上に過酷でした。巡礼者たちからは「なんでこんなことやっているんだ?」という目で見られましたし。でも、そうやって苦労して集めたペットボトルは、聖なる山で拾った宝物のようでした。

山の麓に向かう最後のお店で買ったリサイクルの米袋いっぱいにつぶしたペットボトルを詰めて、5袋くらいを郵便でチベットから天津の工場に送りました。郵便局では大量のゴミを受け付けてもらえるか心配しましたが、何事もなく送ることができ、このプロジェクトのことについて話すと感心されました。一方、海で拾ったペットボトルは、対馬から天津に送ったら、送り返されたうえに関税も支払わなければならず、いろいろな手続きをしたうえで何とか送ることができました。

―ペットボトルはどのような工程を経て絨毯になるのですか?

小沢:まず洗浄して、粉砕してチップ状にする。それを綿状にし 、限りなく細い繊維にします。フリースの作り方と同じです。絨毯にはあえて色を付けなかったのですが、山で拾ったペットボトルと、海で拾ったペットボトルとは、出来上がった絨毯の色が微妙に違っています。工場の人に聞いたら、ペットボトルは徹底的に洗浄されますが、どうしても落ちきれないミネラル分や汚れが高温によって微妙に変化することがあるということでした。カイラス山と東アジアの海の環境が人工物にも影響を与えているのです。

*「天空からの絨毯」の制作過程はウィンドウに設置したモニター映像で紹介しています。

PHOTO: Nacasa & Partners

―ショーウィンドウでの展示はいかがでしたか?

小沢:今までもホワイトキューブ以外での展示も行ってきましたし、そのことについて抵抗はありません。むしろやったことのない空間でのチャレンジはポジティブでした。一方で、閉ざされた空間ではなく外に面しているからパブリックアートのようなものですし、そこでの配慮や企業の顔となる場所なので普段と違ったフィルターや考えを取り入れる必要があると思いました。アーティストは作品や展示を行う際にコンセプトから入るのですが、それを今回は店舗のショーウィンドウ寄りにチューニングする必要がありました。


もうひとつは、僕の世代ではないですけど、『銀座の恋の物語』で石原裕次郎演じる売れないアーティストが、アルバイトでディスプレイのデザインをやっていたのって、たしか銀座通りのどこかのお店でしたよね。図面を持って売り込みにいったけどダメでというシーンが結構好きでした。このあたりの話じゃないかと思います。

―小沢さんと銀座とのつながりについて教えてください。

小沢:高校生くらい美術少年になってから、展覧会とか見るべきところは銀座方面にあるらしいときいて、画廊巡りに1~2回来たことがあります。ただ、画廊がたくさんありすぎてどこへいっていいのかわからず疲れて帰った記憶があります。大学生になると行くべき画廊や情報は得ていましたが、画廊以外は全然見ていませんでした。もちろん資生堂ギャラリーには何度か行きました。何を見たかまでは覚えていませんけど。
90年代の初め頃は、若いアーティストが展覧会を開けるのはレンタル画廊しかなく、そのシステムに対する疑問をユーモラスに表明した「なすび画廊」や「ザ・ギンブラート」(1993年に銀座の路上で岩井成昭、中村政人、村上隆らとゲリラ的に行った展覧会)を企画・開催しました。何もかもがわからなかったし、いいモデルケースになるような人物もまわりにいなかったし、将来をイメージするものが全然なかった。アートは続けたかったけど、そんな時代でしたね。

―だからこそ90年代はいろんな新しいものが生まれたんでしょうね。

小沢:そうそう、自分で作り出す以外なかったのかなぁと思います。今は恵まれているんじゃないですか。

PHOTO: Nacasa & Partners

―今回の展示で水の入ったペットボトルを使用したのはどういうアイデアですか?

小沢:美術の見せ方はいろいろあると思うのですが、やはりビジュアル的に美しくなければいけない。徹底的に美しくするために、過剰なほどのペットボトルが必要だったのです。まさか1500本も使うとは自分でも思いませんでした。美術には二つの方向性があって、ひとつは作品の前で自分の美意識と照らし合わせて鑑賞する見方。まぁ、ほとんどはそれなのですが、もうひとつは作品が議論を誘発する美術。僕は両方やりたくて、そのためにはペットボトル1500本という、新たな課題を見る人と共有する構造にすべきだと思いました。

―新たな課題とは?

小沢:以前から、作品制作のプロセスや展示後のことも気にしてきました。最終的にできあがったものの表層だけが作品というのは嫌だと思っていました。また、自分の作為だけでなく、いろんな人たちのアイデアを交えながら作品を制作するのが僕のスタイルなので、今回のウィンドウでは、ペットボトルの行く末にも含めて資生堂の企業としてのスタンスも、僕の作品を通して見えるとよいと思いました。
作品の前で議論が始まることに意味があるのです。最終的に何も決まらなくてもいいので、着地点を決めずに始めることが大切です。さらに次の何かが生まれるとか、作品や商品になるというようなことがあれば楽しいし。

インタビューを終えて

小沢さんにとって、制作の過程や、展示後について皆で考えることも作品の一部であることがよく分かるお話しでした。
近年サステナビリティや地球温暖化が社会問題として大きく取り上げられていますが、小沢さんはこの問題をいち早く作品に取り入れました。聖なる山に捨てられ放置されるペットボトルのゴミ、海流にのって流され集まった海洋ゴミ、それらが美しい「空飛ぶ絨毯」に生まれ変わり、私たちの未来にメッセージを投げかけています。
資生堂の社内でも、ウィンドウを制作する際に リサイクルの勉強会も兼ねたミーティングを行い、小沢さんと一緒に1500本のペットボトルのその後について話し合いました。普段仕事ではあまり顔を合わすことがない社員たちが集まる貴重な機会でした。そこで生まれたあたらしい関係性を大切にしながら、その輪を広げていきたいと考えています。

資生堂ギャラリー 豊田佳子

小沢剛

美術家 |1965年東京生まれ 埼玉在住
東京藝術大学在学中から、風景の中に自作の地蔵を建立し、写真に収める《地蔵建立》開始。93 年から牛乳箱を用いた超小型移動式ギャラリー《なすび画廊》や《相談芸術》を開始。99 年には日本美術史の名作を醤油でリメイクした《醤油画資料館》を制作。2001 年より女性が野菜で出来た武器を持つポートレート写真のシリーズ《ベジタブル・ウェポン》を制作。13 年には「光のない。(プロローグ?)」で、初の舞台演出、美術を手がける。13年より、歴史上の実在する人物を題材に、事実とフィクションを重ね合わせ、物語を構築する「帰って来た」シリーズを制作。
2004年に個展「同時に答えろYesとNo!」(森美術館)、09年に個展「透明ランナーは走りつづける」(広島市現代美術館)、18年に個展「不完全―パラレルな美術史」(千葉市美術館)、20年に個展「オールリターン」(弘前れんが倉庫美術館)を開催。第69回芸術選奨文部科学大臣賞受賞(2019年)

銀座での展示は、2015年に資生堂ギャラリーで開催した個展「小沢剛展 帰って来たペインターF」以来となります。

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